

御由緒
■須佐の地名の由来
出雲國風土記によると、須佐之男命が「この國は小さき國なれども國処なり。故れ、我が御名は木石には著けじ。」と云われ「やがて己命の御魂を沈め置き給ひき。然してやがて大須佐田、小須佐田を定め給ひき。故れ、須佐といふ。」と延べているのが、現在の佐田町須佐周辺である。須佐之男命がこの地で一生を終えられ、御魂を鎮められたと云われる。
■須佐神社あれこれ
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出雲國風土記によると、須佐之男命が「この國は小さき國なれども國処なり。故れ、我が御名は木石には著けじ。」と云われ「やがて己命の御魂を沈め置き給ひき。然してやがて大須佐田、小須佐田を定め給ひき。故れ、須佐といふ。」と延べているのが、現在の佐田町須佐周辺である。須佐之男命がこの地で一生を終えられ、御魂を鎮められたと云われる。
■須佐神社あれこれ
| 【御祭神】 |
須佐之男命、稲田比売命、足摩槌命、手摩槌命
三穂神社:事代主命(恵比須)、 天照社: 天照大御神 |
| 【御本殿】 | 大社造り、明治 32 年に国幣小社に指定されている |
| 【神宝】 |
兵庫鎖の太刀(天文壬子年に尼子民部少輔晴久が奉納:重要文化財) 納曽利(春日の作で足利義政が奉納した舞楽面)、獅子頭、古社図 |
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大杉さん
神社本殿の裏にある樹齢約 1200 年といわれる杉の大木。その昔、加賀藩から船の帆柱に金 800 両でと申し出られたが断ったといわれる。江原啓之氏はその著書の中で、神社の中でもっとも強烈なパワースポットとおっしゃっている。
(マガジンハウス「スピリチュアルサンクチュアリ 江原啓之神紀行」)
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主な行事
| 日にち | 名称 | 内容 |
|---|---|---|
| 1 月 1 日 | 歳旦祭 | |
| 2 月 3 日 | 節分祭 | 蘇民将来の古事にならって「芽の輪」を授ける。 |
| 2 月 17 日 | 祈年祭 | |
| 4 月 18 日 | 例大祭 | 朝覲祭:摂社天照社への神幸の神事 |
| 4 月 19 日 | 二の祭 |
陵王舞:悪魔退散、修理固成、耕田播種の神事 百手神事:悪魔退散、国家安泰、五穀豊穣を祈る神事 |
| 8 月 15 日 | 切明神事 | 念佛踊り:大花に神霊を迎えて御心をお慰めする神事 |
| 10 月 17 日 | 秋祭り | |
| 11 月 23 日 | 新嘗祭 | 大根鍋:豊作に感謝する祭り |
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須佐の七不思議
1. 塩ノ井(しおのい)
神社の門を入って右側の小池には塩水が湧いており、須佐之男命がこれを汲み土地を清めたという。また、出雲大社に近い「稲佐の浜」とつながっており、湧出に間渇があるのは日本海の潮の満干と関係があるという。
2. 落葉の槇(おちばのまき)
須佐之男命の妃神である稲田姫が、神社近くの誕生山でお産をなさった時、産具を槇(柏)葉に包み、松葉で綴って流瀬川(現在の原田川)に流された。それが流れ着いた所に「槇と松」が生え現在に至る。今でも槇葉の縁に松葉で刺したような穴がある。
また須佐神社の御神紋「蔓柏(つるかしわ)」はこの云われに由来して定められたもので、蔓は松葉を紋様化したものである。
3. 影無桜(かげなしざくら)
その昔、隠岐国で耕田が稔らず不作が続いたとき、知々井(海士町知々井)に住む男に夢想があり「須佐大宮の境内に大きな桜が繁茂して、それが隠岐へ影をさすために耕作ができぬから、須佐の国造に頼んでその桜を切ればよい。」ということだった。そこで桜を切ったところ、以前のように豊かな稔りが続くようになった。天照社北東の水田の中にあり、その切り株から生えた桜は以後大きく茂ることなく、また枯れることなく現在に至る。
4. 星滑(ほしなめら)
神社の西方、中山の頂上近くで岩石が露出して谷のようになっている所に、白い斑点(なめ)がある。これは星が光るのだと云われ、光沢があって大きく見える年は豊作、光沢がなく小さく見える年は不作だという。
5. 雨壺(あまつぼ)
神社の西を流れる素鵝川に沿って約一粁下流の田んぼの脇に大きな岩があり、その岩の中に径二尺(約 60cm)余りの穴がある。この穴をかき回すと須佐大神の怒りに触れて大洪水があり、犯した者の家には不吉なことがあるという。その昔、これを犯したために翌日暴風雨となり、村中が大きな被害を被ったため村人の怒りをかってしまい、村から追放されたものがいたという事実もある。
6. 相生の松(あいおいのまつ)
神社本殿の裏に、一本で男松と女松の両肌を持ったものがあった。昭和の初め頃に枯れてしまったので伐採され、今は跡を残すのみ。
7. 神馬(しんめ)
その昔、藩主や有力な武将が神社に馬を奉献していた。奉献された馬はどんな毛色の馬でも後に白馬に変わり、世の吉凶やめでたいこと、災い、国の大事など種々の異状を予知したという。常立(とこたち)の馬と呼ばれていたが今は無く、神社裏の川畔に墓が作られている。
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神社の門を入って右側の小池には塩水が湧いており、須佐之男命がこれを汲み土地を清めたという。また、出雲大社に近い「稲佐の浜」とつながっており、湧出に間渇があるのは日本海の潮の満干と関係があるという。
2. 落葉の槇(おちばのまき)
須佐之男命の妃神である稲田姫が、神社近くの誕生山でお産をなさった時、産具を槇(柏)葉に包み、松葉で綴って流瀬川(現在の原田川)に流された。それが流れ着いた所に「槇と松」が生え現在に至る。今でも槇葉の縁に松葉で刺したような穴がある。
また須佐神社の御神紋「蔓柏(つるかしわ)」はこの云われに由来して定められたもので、蔓は松葉を紋様化したものである。
3. 影無桜(かげなしざくら)
その昔、隠岐国で耕田が稔らず不作が続いたとき、知々井(海士町知々井)に住む男に夢想があり「須佐大宮の境内に大きな桜が繁茂して、それが隠岐へ影をさすために耕作ができぬから、須佐の国造に頼んでその桜を切ればよい。」ということだった。そこで桜を切ったところ、以前のように豊かな稔りが続くようになった。天照社北東の水田の中にあり、その切り株から生えた桜は以後大きく茂ることなく、また枯れることなく現在に至る。
4. 星滑(ほしなめら)
神社の西方、中山の頂上近くで岩石が露出して谷のようになっている所に、白い斑点(なめ)がある。これは星が光るのだと云われ、光沢があって大きく見える年は豊作、光沢がなく小さく見える年は不作だという。
5. 雨壺(あまつぼ)
神社の西を流れる素鵝川に沿って約一粁下流の田んぼの脇に大きな岩があり、その岩の中に径二尺(約 60cm)余りの穴がある。この穴をかき回すと須佐大神の怒りに触れて大洪水があり、犯した者の家には不吉なことがあるという。その昔、これを犯したために翌日暴風雨となり、村中が大きな被害を被ったため村人の怒りをかってしまい、村から追放されたものがいたという事実もある。
6. 相生の松(あいおいのまつ)
神社本殿の裏に、一本で男松と女松の両肌を持ったものがあった。昭和の初め頃に枯れてしまったので伐採され、今は跡を残すのみ。
7. 神馬(しんめ)
その昔、藩主や有力な武将が神社に馬を奉献していた。奉献された馬はどんな毛色の馬でも後に白馬に変わり、世の吉凶やめでたいこと、災い、国の大事など種々の異状を予知したという。常立(とこたち)の馬と呼ばれていたが今は無く、神社裏の川畔に墓が作られている。
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